以前フットサルマラソンのサポートを一緒に取り組んだ友人阿部君が、彼の友人でテニススクールを上海で運営している中川君とその中川君の友人でこれまた上海でIT起業を経営している林君を紹介してくれました。
あべちゃん@挑戦力のブログ
http://ameblo.jp/abe-takahiro/
中川君のANDY SPORTS
http://www.andysc.cn/
林君のWNA
http://www.wna.jp/
場所は日比谷公園の真ん中にある「松本桜」。
惚れ惚れするイチョウの木が横にそびえたつ、歴史あるレストランです。
さて、小春日和の柔らかな光が射し、緑に囲まれたすばらしい
ロケーションの中でハンバーグを食べながら、僕は中川君と林君
に今僕らが取り組んでいる事と、上海万博に平和の火を届けたい旨
を伝え、どんな些細な事でもいいので情報をいただけないかお願い
をしました。
二人はとても真摯に僕の言う事を聞いてくれました。
ただやはり上海万博については、難しいだろうなぁというご意見でした。
しかし上海万博に限定せず、上海で実施ならまだ方法はあると言ってくれました。
例えば、中川君は日本人学校と繋がりがあるので、教育の一環としてキャンドルナイトを学校で行う事もできると思うし、林君は、エコ活動の一環として電気を消すイベントをやっているクライアントがおり、そういった所には、提案できるとの事でした。
やったー!
上海まで辿りつけたー!
僕が浮かれていると、松本桜の小坂さんという女性がお見えになられ、ご挨拶させていただいた。
なんと、その小坂さんは、孫文に約2兆円規模(現在の価値)の支援を行い続けた梅屋庄吉さんの曾孫さんであり、上海万博日本館に出展されるとの事だったのです。
梅屋庄吉と孫文は上海で出会い、
「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」
と孫文に伝え、日本に帰国し、彼は映画業界を立ち上げ、得た私財のほとんどを孫文の支援に与え続け、この事を他言するなと言い残されていて、なかなか存在が表に出ていなかったのを、あれから時代も経たということでオープンにされたのです。
詳しくはコチラをご覧ください。
http://www.matsumotoro.co.jp/umeya.html
革命をプロデュースした日本人 (単行本) 小坂 文乃 (著)
食事の後、松本桜の吉田常務が松本桜を案内してくださいました。
写真は梅屋庄吉と孫文に関する資料
吉田常務と話をさせていただいた際、平和の火を上海万博に届けたいと話をしていると、梅屋庄吉は長崎出身で、今回の上海万博への出展は長崎市のサポートを受けての出展であり、もしかしたら何か協力できるかもしれない・・・そんな事を言っていただけました。
ありがたい。
更に話をしていくとなんと僕と同じ姫路出身だったのです。
そんな感じで話が盛り上がりました。
とにかく松本桜ですばらしい時間を過ごす事ができました。
すばらしいセッティングをしていただいた阿部君に本当に感謝です。
右から吉田常務、僕、林君、中川君、阿部君
さて、翌日の金曜日大阪に戻った後、やはり僕は上海万博へ灯す事にまだまだこだわりたいと思い、スポンサーを募って正式に出展する動きをとろうと思いました。
そこで以前コンタクトをとった日本産業館に連絡し、正式に出展したいので資料を送ってほしい旨を伝えると、一介の任意団体が1000万円の出展料を払って前向きに出展を検討している事に電話の向こう側で少し驚いている様子でした。(笑)
今週は広島に入り、協賛企業を募る動きをとろうと色々と準備をしていました。そんな矢先の4月5日の朝、日本産業館の担当者から連絡がありました。
「改めて以前受け取った企画書を見たところ、火を扱うとの事ですが、それは当館では、使用はできないので、今回は実施を見送ってください」
との事でした。
ちょうどその日、ネットで上海万博が危険物への制限の発表がされていました。
おそらくその通達が届いたのでしょう。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0405&f=national_0405_001.shtml
電話の後、この発表の記事を目にし、それからずっと静かに考えている自分がいます。