今からフェリーに乗って韓国に行きます。
今年の冬に韓国の広島「ハプチョン」に原爆の火を届けるために。
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2年前、ピースボートと韓国の環境財団が主催する日韓クルーズ
で原爆の火を運び、釜山と広島でキャンドルナイトを実施した
事がありました。
【Peace & Green Boat2008報告書】
http://www.1pi-ce.jp/files/PeaceGreen/HoukokuP&G.pdf
船の中で原爆の火について、同時通訳で日本人と韓国人の乗船され
ていた方々に説明をしていたのですが、その時
「私は韓国で一緒にこの火でキャンドルナイトをやってくれる
人を一人探すためにこの船に乗りました」
と話の最後にした時、そのワークショップの後、あるご夫婦が
僕の側に来てくれて「私たちがやります」と手を握り締めて言って
くれたのでした。
そのご夫婦は「陜川(ハプチョン)という地域の役場で働いていらっ
しゃるご夫婦だったのです。
その時、初めて「ハプチョン」という地域について知りました。
「ハプチョン」は「韓国の広島」と呼ばれている地域で在韓被爆者
の方々がたくさん住んでおられ、韓国で唯一原爆に関する施設
「陜川原爆被害者福祉会館」があります。
「ハプチョン」は山に囲まれた山村で、元々農地に恵まれて
いなかったのですが、日本占領下の時代、日本向けの米や綿花を
作らされ続けていた事と自然災害等で多くの方々が日本へ出稼ぎ
に行かざるをえない状況になりました。当時日本に出稼ぎに行く
ためには、身元引受人が必要になったのですが、早い段階でハプ
チョンから渡られた数人の方が広島で事業に成功し、ハプチョン
の多くの方々の身元引き受け人になり、結果当時広島在住の朝鮮
半島の方々はほとんどがハプチョン出身となったそうです。
その後広島で被爆された後、帰国され結果ハプチョンに多くの在韓
被爆者の方々がいらっしゃるという状況なのです。
また、ソウルや釜山等大都市で生活されている在韓被爆者の方々
も大半はハプチョン出身の方々だそうです。
在韓被爆者の方々は戦前・戦後大変なご苦労をされていらっしゃい
ます。韓国では木の皮を食べていたという程、大変な貧しさの中
で生活され、日本ではバラックのような場所で一般日本人の半分位
の給料で生活し、被爆後、他の地域に身寄りがないため戦後の放
射能をもろに浴び、帰国後村に畑はなく、日本の被爆者のように、
専門的な治療や補償等のサポートを受けることができず原爆症の
体にムチを打って小作人や肉体労働等で厳しい生活をされてきた
方々の証言を様々な文献等で確認しました。
前回のmuzinzoの編集後記で映画「ヒロシマ・ピョンヤン」を紹介
しましたが、僕はその時2回映画館に足を運びました。そこで伊藤
監督や専門家の市場淳子さんのお話を聞き日本と韓国の狭間で人知
れずご苦労を重ねられた被爆者の方々は口を揃えて
「無関心が一番辛い」
とおっしゃっている事を聞きました。
原爆の火をハプチョンに届け、夏至に星野村に集まっていただいて
いるように「ハプチョン」に集まっていただき、お爺さんやお婆さ
んの話を聞いて、その火でキャンドルナイトを行えば多くの方にハ
プチョンの皆さんに感心を持っていただくのではないか。
日本と韓国でハプチョンの話をしながらキャンドルナイトを開催し
ている様子を見ることができたら、お爺さんにお婆さんに喜んでも
らえるのではないか。
そう思いました。
やるとしたら大きな仕事になる。
う〜ん、どうしようかな〜と覚悟が決まらないまま一週間ほどすご
していたのですが、ある日、吹田でたこ焼き屋に入ってカウンター
に座った時に、
「一度決めた事はやりとげんと自分がどっかいっちまう」
という言葉が目の前に貼ってあったのです。
それをみた時、「そうだそうだ、もう2年前に決めていた事だから
あとはやりとげる以外ないんや!」と思い、ハラが座りました。
早速、市場さんに連絡し、ハプチョンの被爆者協会の方をご紹介い
ただきすぐに電話したが日本語が通じず、会話できない・・・そん
なところから僕の取り組みは始まりました。(笑)
それが体育の日の連休あたりです。
覚悟を決めてからはドンドン突き進んでいきました。
韓国で一人共感いただける方が表れたらすぐ韓国に行く気持ちで
いました。
そうしているうちに神戸の美容院で毎年原爆の火でキャンドルナ
イトをやってくれている釣ちゃんを通して日韓合同で音楽祭を
開催したばかりの藤井君を紹介してもらいました。そして彼が、
韓国のテグ在住の日本語教師の岡田さんを紹介してくれたのです。
岡田さんにいつでも韓国に行く心構えができている旨を伝えている
とハプチョンや在韓被爆に詳しい方々、あと僕が連絡を取りたかっ
たけど言葉ができないために連絡を取れなかった方々へ連絡をと
っていただけました。
こうして岡田さんのおかげで話がトントン進んでいきました。
おもしろいのですが、岡田さんとは実は以前ワンピースのホーム
ページに僕らの活動について問い合わせをいただいた事があった
のです。
ちょうど、僕も岡田さんの存在が頭の片隅にあり、協力を募りた
いと思っていてそのメールを探していたけど、他のメールに埋も
れて見つからず、あのメールは幻だったのかなと思っていた矢先
にご紹介をいただき運命的なものを感じてしまいました。
メールが届いた事をブログに書いていました。
http://onepi-ce.seesaa.net/article/150709095.html
2、3日前は広島で色々と今回の企画について色々動いていました。
広島では被団協の坪井代表委員長、韓国の原爆被害者を救護する
会広島支部長の豊永さん、在韓被爆者のドキュメンタリー「原爆
棄民」を作った若きディレクター気楽さん、毎日新聞大阪で10回
の在韓被爆者特集ルポを取材された記者の樋口さんと私が日韓ク
ルーズの時以来お世話になり続けた樋口さんの先輩であり、在韓
被爆の問題を追い続けていた宇城さんといった問題意識を持って
自ら在韓被爆の問題に取り組み続けた諸先輩方から色々とアドバ
イスを頂き、また現地の方々をご紹介頂きました。
そうしている間に韓国に行く具体的な日取りが決まり、昨夜ワン
コリアフェスティバルのボランティア説明会に挨拶だけ伺い、
そのままバスで博多に来たのです。
ワンコリアフェスティバルでは、今年のテーマは「ピースコリア、
ピースアジア」で、今回の企画を数日前話したらすごい喜んでい
ただき、ぜひワンコリアでも火を灯そう!そして今回の企画の
事も知ってもらおう!と言ってくれたのです。
と言うことで韓国に行ってきます。
また、色々とキャンドルナイトワンピースブログやこのmuzinzo
で報告させていただきます。
http://onepi-ce.seesaa.net/
ハプチョンでの採火セレモニーは12月4、5日を予定しています。
移動の3日(金)を含めて
12月3(金),4(土),5日(日)
行きましょう!ハプチョンへ!
そして冬至はキャンドルナイト!
「ハプチョンへGO!!」