これからソウルタワーの電気を消し、タワーの麓でキャンド
ナイトを実施している韓国女性環境ネットワークの方とお会い
するため、ソウルに来ており、ソウル駅のカフェから原稿を
書いています。韓国での様子を少しご報告させていただきます。
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釜山に着き、今回韓国に行くきっかけをいただいた岡田さんが
フェリー乗り場に私の作ったチラシを手に持って迎えに来て
くれていました。
そこでまた一つの驚きがあったのですが、岡田さんは2年前、
私が日韓クルーズ前に勉強のため、韓国に行き、日本大使館前
で毎週水曜に慰安婦問題のデモを見学をした際、その方々に
ご飯に誘われ、そのままナヌムの家まで連れて行っていただ
いた事があったのですが、その際、隣でご飯を食べていたおじ
さんだったのです。
2年ぶりの驚きの再会の後、その日はテグまで送っていただき、
20代〜30代を中心としたメンバーで人権問題等を取り組んでいる
KYCのドンヨルさんと韓国原爆2世患友会の事務局長の
ジンさんをご紹介いただきました。
ドンヨルさんは2年前の日韓クルーズに乗船されていた方で、
その時少しご挨拶をさせていただいたのですが、2年ぶりの再会
でした。ジンさんは話をしていくと、私が韓国原爆被害者協会
に電話した時に、日本語が通じず、何も伝えられないまま電話
した時、その電話を受け取った方だったのです。
ちょっとしたそうしたきっかけが、私たちの間をすごく近くして
くれてお二人とも今回の企画に心から賛同し協力いただける旨を
いただき、その日は歓迎のもてなしをいただきました。
翌日、ジンさんと韓国原爆2世患友会の会長のハンさんと岡田さん、
ハプチョン在住の日本人の麓さんがご同行いただき、ハプチョンまで
朝から連れて行っていただきました。
車の窓から眺めるハプチョンはどこにでもある山村でした。
まず韓国原爆被害者協会に朝から連れて行ってくださいました。
そこで、今まで日本でお会いした方々が口を揃えて、「ハプチョンに
行けば会いなさい」といわれていた前支部長のシム・ジンテさんに
お会いすることができました。
シムさんは凛とした感じで笑顔がとても素敵な方で、今回の話を
静かに聞いて頂き、私も説明していきました。その際
「以前広島の火を灯そうとした組織があり、火を運ぶ事でつまずき、
実現しなかった。その時灯す予定だった記念碑だけ福祉会館の前に
あるが、それは輸送は大丈夫か?」
と言われました。
「今、フェリー会社を通して、輸送については申請を行っており、
おそらく大丈夫だと思う。
もし了解してもらえ、今回キャンドルナイトが実現したら、この火
で人々の心がどう動くか見ていただきたい。
そしてもしよかったら、この火をその記念碑に灯し続ける事を検討
して欲しい。
日本では8月6日に灯篭流しという原爆被害者を偲ぶ風習があります。
その灯篭流しで使われているこの火を使って同じようにここハプチョ
ンでも開催してみてはどうかと思っています。
そういう視点で今回の企画への協力を検討いただけないでしょうか?」
と伝えると
「ありがとう」
と言って今回の企画を陜川原爆被害者福祉会館で開催させていただき、
そして様々な手配などご協力いただけることになりました。

その後、お昼ごはんでジャージャー麺をみんなで食べている時、
通訳をしてくれていた麓さんが私が日韓クルーズでお会いした
ハプチョン在住のご夫婦とお知り合いという事が分かり、早速
連絡を取っていただきました。
その方は、船の上で、原爆の火のキャンドルナイトの賛同者を
呼びかけた時私の側に来て、熱く手を握ってくれた方です。
すると奥様のシュさんと連絡がとれ、そこから直ぐ近くにある
ハプチョンの役場に行きここでも嬉しい2年ぶりの再会をする事
ができました。
船でお会いした時は、やさしいご夫婦という感じだったのですが、
私は知らなかったのですが、シュさんは課長クラスで、役場に着く
と一番奥の席から凛とした姿で表れました。
でも再会を喜び合い、お話を重ねていくうちに、その時感じたやさ
しさを感じ、今回の企画についても本当に喜んでくださり
「何か協力できる事があると思う」とおっしゃっていただきました。

役所での嬉しい再会の後、福祉会館に行きました。
福祉会館ではまず、シムさんのおっしゃっていた記念碑に出会い
ました。
「平和火」と刻まれた存在感のあるモニュメントが火が灯されない
まま立っていました。

火を灯そうと思った後、様々な不思議なご縁をいただきながら、
火の灯っていないこの搭の前に立っときに、なにか私の浅はかな考え
を超えた、大きな流れを感じざるを得ませんでした。
ハプチョンという大地に自分を立たせてみたいと思って、ついに山に囲
まれたこの地の土を踏んだ時、私が感じたのは感動と感謝と確信でした。