「やくそくのどんぐり」
(著:大門高子 イラスト:松永禎郎 新日本出版社)
ハプチョンと広島を舞台に実在した在韓被爆者の物語です。
先月末に発売されたばかりです。(しかも発売日が僕の誕生日)
治療のため広島を訪れた在韓被爆者の李順基(イスンギ)さんが
平和公園の韓国人慰霊碑の所でドングリの実を拾い、広島の事を
想い家の庭にどんぐりの実を植え、母と過ごした広島に想いを馳せる
というお話です。
【海峡越えた友情の樹 ヒロシマの悲劇、在韓被爆者の苦難、平和を願う連帯感】
http://www.mainichi.co.jp/osaka/wakaru/theme/hibakusya/08m3.html
主人公のイスンギさんは亡くなられたのですが、その後ドングリ
の木は陜川原爆被害者福祉会館の敷地内に植え替えられ、その木
の引き継いで世話をしているお爺さんがいる事を広島で聞いて
いました。
福祉会館で館長さんに今回の企画の話をしていた際に、そのどん
ぐりのお爺さんの話をすると、そのお爺さんが誰なのかが分かり
ました。
この福祉会館には100人程の在韓被爆者の方々が住んでいらっ
しゃり、入居待ちの方々があと130人程いらっしゃいます。
つまり、足りていないのです。
その福祉会館を、採火セレモニーの会場として使用させていただく
事になり、館内をご案内いただいていると、どこからともなく
アコーディオンの音が聞こえてきました。
2階に上がり、交流スペースのような広間でおじさんのアコーディ
オンに合わせて被爆者のおばあさん達が歌っていました。
僕達が中に入ると、皆さん小さな柔らかい手で「こんにちは」とか
「ありがとう」とか言って手を握ってくださいました。
ちなみに福祉会館にいらっしゃるお爺さんやお婆さんは多くの方が
日本語がとても堪能で、会話は日本語で十分通じました。
そんな中、歌われていた曲はなんとも言えない温かい曲でした。
その後、椅子に座って聴いていると隣に座っていた韓正淳(ハン
ジョンスン)さんがお爺さんを紹介してくれました。
(ハンさんはこの日仕事があったにもかかわらず、その予定を
変更して私を一日ご案内いただきました。感謝)
そのお爺さんがドングリの木の世話をしているという金島植
(キムトシク)さんです。
金さんに絵本をプレゼントすると、その絵本の事はご存じなかった
ようでとても喜んでくださいました。
そして、今回の企画の話をすると更に喜んでくれて
「ハプチョンでの車も宿泊場所も全部俺に任せとけ。」
といってくれて、世界遺産の海印寺(ヘイインサ)というお寺に
泊まらせていただき、また車も手配し自ら運転までしてくれると
いうのです。
お気持ちが本当に嬉しかったです。
金さんが以前取材された内容
http://mainichi.jp/kansai/reportage2010/archive/news/2010/20100719ddn041040009000c.html
金さんと色々と話をしながら、私は一人のお婆さんに会いたい旨
を伝えました。フェリーの中で体験記(引き裂かれながら、私たち
は書いた―在韓被爆者の手記)を読んでいたのですが、そのお婆
さんの内容が印象深かったので、その方にぜひお会いしてお話を
伺いたいと思ったのです。
そしたら、そのお婆さんを呼んできてくださいました。
腰の曲がった小さなお婆さんが杖をつきながらゆっくり来てくだ
さいました。
そのお婆さんが厳粉連(オムプンヨン)さんです。
オムさんは、現在の韓国原爆被害者協会を創設された一人です。
金お爺さんは、
「今ここで暮らせるのもこのばあちゃんのお陰なんだよ。でも
ここにいる人達はそんな事、誰もしらねぇんだよ。」
と言うと。
「いいんだって。皆が幸せならそれでいいんだよ。」
とオムさんは柔らかな口調で応えられました。
そして話を続けられました。
「でも、本当に大変なのはここに入れない被爆者手帳をもらえて
いない人達なの。手帳を発行してもらうためには当時広島にいた
ことを証明してもらえる人が2人必要なんだけど、1歳や2歳の
頃被爆した人なんてその時の記憶なんてあるわけがないし、証人を
探せないんだよ。手帳をもらえない寝たきりの人達がこのあたりに
たくさんいる。
これはなんとかしなけりゃいけない。
今、私は体調がよくないから動けないけれど、少しよくなったら
彼らをなんとかするために動いてみようと思っているの。」
この最後まで人の為に自分にできる事をやろうとしている82歳の
腰の曲がった小さな被爆者のお婆さんの姿に私は感動してしまいました。
私はぜひ、オムさんにお話いただきたいと思い、今回の企画を説明し
当日お話いただけるようにお願いしました。
オムさんは
「わかりました」
と快く承諾いただきました。
その後テグでKYCの若いスタッフ達と交流を経てソウルへ向か
いました。
岡田さんと李大洙(イ・デス)さんがソウルの韓国女性環境ネット
ワーク(KWEN)というキャンドルナイトを韓国で実施されている
グループとの会合をセッティングしていただき、更にご同行までして
いただいたのです。感謝。
KYC
http://www.kyc.or.kr/
韓国女性環境ネットワーク(KWEN)
http://www.ecofem.or.kr/
イ・デスさんは夏に台湾のある会議でキャンドルナイトワンピース
の事を知ってくださり、岡田さんを通して連絡をいただいた牧師さん
です。
お会いすると笑顔の素敵な物腰の柔らかい素敵な方でした。
とても話をしやすい雰囲気をお持ちの方で、私とイ・デスさんの会話
の言語は英語で、私は流暢に話す事ができないのですが、イ・デスさんと
は不思議と会話が色々できました。
イ・デスさんは昨年ワンコリアフェスティバルのステージでスピーチを
され、また焼却場反対運動にリーダーとして携わり,全国をまわって
活動しておられたので「ゴミ牧師」というニックネームで親しまれてい
るようです。ワンコリアフェスティバルでは環境対策のセクションを担当
していた私と色んな話ができました。
KWENの方は以前釜山で原爆の火でキャンドルナイトを実施した日韓
クルーズに乗船されていた方もおられ、今回の話を前向きに検討いただ
ける事になりました。今年はソウルで10箇所程小規模でキャンドル
ナイトを開催される予定との事なので、そこでこの火が使われるといいなと
思いました。
Peace&Green Boat 2008
http://www.1pi-ce.jp/files/PeaceGreen/HoukokuP&G.pdf
韓国最終日は水原(スウォン)でイ・デスさんの主催する日韓の議員さん
や市民グループの方々が政治や市民活動について意見交換する会議に参加
させていただき、今回の企画を紹介させていただきました。
会議終了後、懇親会が行われ、韓国側の女性4人が即席ユニットを作って
日本から来た方々への歓迎の意味を込めて歌を歌ってくれました。
その時の曲が福祉会館で聞いたあのなんとも言えない優しい曲だったのです。
私は、韓国で2回聞いたこの曲を日本に帰ってからも、時々鼻歌で歌って
しまいます。
今年、キャンドルナイトをされる人にこの曲を紹介しようと思います。
朝鮮半島から広島に渡って来られた方々が約3万人、原爆で亡くなられた
と聞いています。原爆の火に宿るこれらの魂にこの曲を聞かせてくれたら
嬉しいです。
【コヒャンエポム 〜故郷の春〜】
http://www.youtube.com/watch?v=xRE39MmrDtI
私が住んでいた故郷は花咲く山里
桃の花 あんずの花 赤ちゃんつつじ
色とりどりに花の宮殿 整った町
その中で遊んでいたときが懐かしいです
花の町 新しい町 私の昔の故郷
青い草南から風が吹けば
川のほとりの柳 踊り踊る町
その中で遊んでいたときが懐かしいです
**** **** **** ****
KYCの皆様、原爆2世患友会のハンさんとジンさん、麓さん、
イ・デスさん、私が韓国に滞在した全ての日をお付き合いただ
いた岡田さん、そして韓国で出会った全ての人に感謝。
────────────────────────────
編集後記
────────────────────────────
今回の韓国行きでこの企画が具体的に実現できる事になりました。
ここからが本番です。
できる限りの事を心を込めて取り組んでいきたいと思っています。
さて、みなさん、一緒にハプチョンのおじいさんとおばあさんの
為に取り組んでみませんか?
ほんの少しの参画でも結構です。
気軽にお声をかけてください。
ワンコリアフェスティバルのフィナーレで原爆の火がステージで
灯されました。
http://www.youtube.com/watch?v=VhJwrdvIWJ0
ハプチョンに行く高校生はるかちゃんがチラシを作ってくれました。
http://onepi-ce.seesaa.net/article/166636260.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━