ピースフレンドの声を届けます。
Nさん
マッシュルームクラブを観て
一番印象的で衝撃的だったのは「ハダシのゲン」の動画部分でした。
落ちた瞬間の画像でした。原爆にしろ大阪の大空襲にしろ、私は
戦後世代ですので、まあ、そういう事と考えていましたが
実際は動画のようにリアルなものだったと思います。
どキュメンタリーは「いい」角度で本質に迫っています。
以前、広島の原爆資料館を訪れた時、会館の感想ノートに
「この仕返しを、ワシントンに原爆を、落としてやる」と
書かれていました。
冗談ではなく、本気で思う事も考えられます。
呉の特攻館とのかね合いもあるのでしょう。
マッシュロームの願いが、届くよう語り伝えが、私たちの世代もせねば
ならないように感じました。
Mさん
原爆の火のお蔭で、私は様々なピースを受け取ったように思います。
私の催した小さなcandlenightに参加くださった方々に、私も末長さんと同じように「みどり&ユイ」のキャンドルをお渡ししたところ、
キャンドルを使ってご家族と戦争や平和について語る時間を持ちたい、との感想をいただきました。
参加者は代々堺にお住まいの方々なので、堺の大空襲の時にご親族が経験された事や戦争の悲惨さをご家族から聞いてきたとの事で、様々なエピソードを語ってくださいました。
場所を提供してくださったカフェオーナーさんも、原爆の火の由来やfriendshipの説明を聞いて、
「自分にとっての平和とはなんだろうか、と色々な考察をするきっかけとなった」との言葉をくださいました。
採火式についての感想は参加させていただいた事への感謝を述べたメールと同内容となるかと思いますが、Webが使えないので送付したメールをペーストできません。
代わりに、あの時はまだ見ていなかったので感想を伝えていなかった「マッシュルームクラブ」「原爆の火」のDVDへの感想を述べさせてください。
「アメリカ核実験被害者は今」は、原爆や原子力発電所問題にアレルギーを示す人達にも受け取ってもらいやすい内容だと思いました。
「マッシュルームクラブ」は、長年広島と長崎について取り組み、またアメリカに住んでいる監督だからこそ核心をついた作品が撮影できたのだ、と感じる作品です。
私が子どもの頃に訪れた広島や長崎には、「平和(祈り)の意識や気配」があったと記憶しています。
ところが数年前久しぶりに広島を訪れた時、街の空気が全く変わっていた事にショックを受けると同時に、納得する部分もあるからです。
原爆投下の日に日記を書く広島長崎出身の友人達はほとんどいません。
日記を書く人も、自分の子に原爆についてどう伝えるべきか悩む内容や、
広島を離れて「原爆投下投下の日」が広島と長崎以外では慰霊の日でない事に衝撃を受けたとの内容がほとんどでした。
(原爆経験者が身内にいない人々の中で生活していると、原爆や平和について広島・長崎出身者はナーバスすぎるのかもしれない、と若い世代は考える事が多いように感じています)
「愛」の反対は「無関心」。
ほとんどの日本人が原爆について無関心だから、広島や長崎出身者達のアイデンティティも揺るがし、被爆地でも急速に原爆への意識が風化する原因になっているのではないかと、「マッシュルームクラブ」を観て以来、私は考えるようになりました。
これまで原爆に関心がなかった友人達にも勧めたいと思います。
DVD「原爆の火」は同名絵本で書かれた事よりも深く厳しい内容に驚きました。
絵本を読んだ時、家族にも火について語らなかった理由は、原爆の悲惨さを語りたくないからだと勝手に推察してきたらです。
少しの間火を預からせていただいた経験から、火を絶やさずにいるのはどれほど困難な事かを実感しています。
そんな火を何十年も一人で守り続けた事、心に秘め続けた思いの強さを受けとめました。
戦後何十年も変わらぬ自分と違い、戦争を忘れさったかのような世間、
火の由来を知った人々から、その火を美化されるようになり、別の存在に変えられてしまった口惜しさは想像を絶します。
晩年には火を前にして子ども達へ戦争や原爆の悲惨さを語り、
「決して繰り返してはならない事なので君達の子や孫にも伝えてほしい」
と語る姿に、どれだけの葛藤を乗り越えて昇華に至ったのか、お気持ちを考えると、なかなか眠る事ができませんでした。
キャンドルナイトに参加者には、原爆の火はたくさんの人の思いと命が受け継がれている事、私なりの言葉でお伝えしました。
これまでは原爆の火を使った様々なイベントに参加者として関わってきましたが、
自分自身が原爆の火を預からせていただく立場となり、小さなイベントを催させていただいた事で、本質を全く理解していなかった事に気づけました。
あの火は末長さんがおっしゃる通りで、本当に生きていますね。
私は未熟さを何度も感じました。
まだ、知らない事をようやく知った状態ではありますが、少しずつ自分の言葉で伝えていけるようになりたいと思っています。
たくさんの気づきをありがとうございました。
Aさん
「ある日突然」
いつものように電車に乗っていたある日
ふと空を見上げたその瞬間
眩しい
床にたたきつけられる
気づいたら
まわりには
人間とは思えない
焼けただれた目や肌の人たちが
自分の足にまとわりついてくる
水をくれ!
ひたすら彼らは叫ぶ
真っ先に浮かぶのは
家族の無事
まわりの人達を振り切り
家族の居場所へ
後日
あの日の自分の足元にいらっしゃった人々の
訃報が耳に入る
川に飛び込んだ友達は全く上がって来ない
あの時自分は家族以外を見捨ててしまった…
今でもそのことが頭から離れない
自分はいい人だと思っていたのに
人としてやってはいけないことを
たくさんしてしまった…
涙が止まらない
娘たちは
8歳児の知能のまま
50歳をむかえている
原子爆弾が残した
後遺症
心の傷それらは今だに消えていない
国は娘の知能障害と原爆との関連を
30年も黙っていた
やっともらった原爆手帳で
まわりからは差別を受ける
戦争で得たものは何?
憎しみからは憎しみしか生まれない
殺された
大切な人のことを思うと
怒りが止まらない
だけど
だからといって
他人を殺したって
同じ苦しみを持つ人を増やすだけ
もう2度と
戦争をしてはいけない
戦争をしたがる人は
お金持ちだけ
お金や資源が欲しい人は
正々堂々と
ビジネスをしましょう
貿易をしましょう
開発をしましょう
そこに関係のない人々が
殺され
子孫の遺伝子を破壊され
心の傷を持ち続けなければならない
そんな理由はどこにもない
戦争反対
絶対反対
核兵器廃絶へ
劣化ウラン弾廃絶へ
催涙ガス廃絶へ
化学兵器廃絶へ
そのための方法を考えることが
僕らの使命
違いますか?
戦争を止めるために
どんな行動するかが
僕らに問われている
そう思う
以上です。
Bさん
採火式の感想文送ります。山本達雄さんの極めて個人的な火であったのが今は星野村で管理されて日本全国に運ばれ、キャンドルナイトのろうそくに燈されるようになったのは原爆被害者の体験談を後世に受け継いでいくのと同じ意味があると思いました。私はキャンドルナイトには参加した事がありませんが、電灯を消してろうそくの明かりで本来の夜を体験しようという主旨だと思っていましたが、原爆の残り火を使うキャンドルナイトはキャンドルナイトという言葉は同じでも私の勝手にイメージしていたものとは違い、お墓参りをするような厳かな儀式のようでした。
採火式では、参加者の中で戦争中の記憶を話して下さったり、身内が原爆被害者だったり、戦争や原爆がそんなに遠い昔の話ではない事を感じる機会になりました。
Cさん
キャンドルナイトに参加さしていただき、2つのことが
自分の中で変わりました。
1つは部屋のライトを蛍光灯を付けずに、デスクライトだけに
しだしたこと。以前から夜なのになんて明るいんだ、
眩しくて夜を忘れてしまいそうだ。と思っていたのですが、
やっと具体的に実行に移しました。
2つめは平和について真剣に考えだしたこと。
私はフォスター・ペアレントを学生時代からやっていて、
いくら寄付を出しても世界の情勢はちっともよくならず、
むしろ以前よりもっと寄付を要求してくることに辟易していて、
もう平和運動なんて、意味無いと感じていました。
しかし、どんな影響があるかなんて考えずに、
平和を願う気持ちの小さな魂の存在は、
大きく感じました。
Dさん
長田さんから急なお誘いをいただいて、予備知識もなく参加しましたが、
エコラボ様に集まる人たちから、しばらく忘れかけていた平和のありがたさを思い出させてくれました。
末長さんはじめ皆様方各々の平和の炎の説明や自己紹介を聞いて、最近頓に薄れていく戦争放棄の心が
自分自身にとっても再び確認出来て良かったと思います。
共有できる人を探しましたが急には見つからず、21日に開催したEM座談会「モモの集い」でいただいたDVDを鑑賞するのが精一杯でした。
いただいた平和の灯は毎朝の仏壇の灯明に使わせていただきました。
以上6名の方が感想を寄せてくださいました。
ピースステーションプロデューサーをやった感想
末長達雄
6月初旬に吉澤さんと出会い、初対面で「広島原爆の火」の話を聞いたときに
これはいかなければと直感的に思い参加しました。
現地に行って実際に平和の火に出会うと、説明できないですが
涙が止まらなくなっていました。
原爆に遭遇されたすべての人の思いが、一瞬にして身体の中に入ってきたのです。
その時の想念がすさまじい渦をまいて、今も実際に存在しているという事実に出会いました。
深夜の公園では、数え切れない人数の霊人達が、今も水を求めたり家族を捜したりして平和の塔のまわりに集まっておられました。
ことの重大さを理解した私は、平和の火としてだけではなくて、人間としての尊厳を取り戻すための
蘇生の火になるように願って、これから活動していく決意をしています。
私に憑依していた方々は、成田山の不動尊のお力で浄化させていただきました。
例えば原子力発電所の存在を否定しながらその恩恵なしでは今の日常生活のなかで生きていけないでしょう。二酸化炭素を減らそうといいながら、平気で自動車に乗っている自分の二枚舌に矛盾を感じながら、どこかで「しょうがないか」と思う自分もいることに、とても悩んでしまいます。
そんななかでも、本当の自分の存在価値を自分で認めて動くことの大事さを
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は教えてくれています。
龍馬は日本を洗濯致しそうろうと言っていますが、今の時代ではまず自分自身を洗濯する
必要があるように思います。
もともと生まれたときには、透明だった心の中は、いつの間にか濁っていてそんな自分になんとも
思わなくなっているということをまず認識することが大事だと思います。
自分がもとの透明で素直な心に戻れば、周りに伝染していき親兄弟、親戚、自分の周りにいる人々に伝わっていきやがては町そのものがいや国そのものが元々の心に帰っていきます。
お互いがお互いを信頼して、支え合って生きていると自然に笑顔になりすべての生命体の本来の
持ち味が生かされて、この世は本当の平和になっていきます。
みんなが兄弟、みんなでひとつの大家族。
お金も宗教のいがみ合いもない世界になっていきたい。
そのための行動を起こして実際に活動していく。
その答えのきっかけを、この平和の火で知り合った人たちから、
実践していけたらすばらしいですね。
末長 拝